伊藤さんは25日昼すぎ、町内から秋田県の実家に「これから飯豊山に登り、29日に(実家に)行く」という電話をした。その後、連絡はないという。同町小玉川の登山口の駐車場には伊藤さんの車が止まっていた。登山届は出ておらず、どのルートを登ったのかは分かっていない。
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伊藤さんは山の中腹で、手を振ってヘリに位置を伝えた。伊藤さんは「これ以上登れないと思って引き返そうとしたら、迷ってしまった」と話している。伊藤さんは1人で飯豊山に入り9月29日に戻る予定だった。
行方不明者の登山計画書には「9/24(月)飯豊山荘ふもと、25(火)北股岳(梅花皮小屋)P174〜P177、26(水)飯豊山(飯豊山荘)、27(木)下山〜栂峰ふもとP129、28(金)栂峰〜下山〜祝瓶山ふもと、29(土)祝瓶山〜秋田P116、調子よければ(25)小西小屋に泊まり(26)下山して上記より一日早くなる」と記載されていた。これではまるで判じ物である。
石転ビノ出合まで降った彼は、そのまま右岸を下ろうとしたが、当然道はない。何度も登ったり降ったりを繰り返したことだろう。彼は地図やガイドブック類は自宅や車の中に入れ、山中には携行していない。ただ彼の脳裏には「登りの時に右の沢(門内沢)に入り込んではいけない」と強く刻まれていた。従って「降りの時には左に行っては行けない」と思い込んでいた。そのうちに彼は石転ビノ出合の下流右岸に絶好の岩屋を見つけた。
好天により川の水位は通常より遥かに少なくなっていた。そのため何時もは水流のある所なのに水際を歩くことが可能になり、出合下流の土砂崖の下に大きな石があり、そこに巨大な石が屋根のように乗っていたのだ。その中は人間が横になれる快適な場所と彼は思ったのである。しかしその場所は渇水した川の流れから10~20cmしか高くない。つまり雨が降ったならば確実に水没し、彼の身体は奔流に投げ出される場所であった。