事故の多さにめげる
今年 (2007年) のゴールデンウィークからこのブログを付け始めた。
始めたとたん、ゴールデンウィークの遭難事故の多さにまいった。
しばらくさぼり気味になり、6〜7月はほとんどリアルタイムに付けなかった。抜け落ちている事故もたくさんあると思う。
8月になって再びほぼリアルタイムに事故を拾い始めたが、あまりの多さに嫌になる。数件は事故以外の投稿も含まれているが、8月の投稿数は 70だ。1日2件以上事故が起こったことになる。今年は例年より多少多いようだが、かといって去年だって少なかったわけではないのじゃないかという気がする。
圧倒的に多い滑落・転倒
多少の予想はしていたが、滑落事故が圧倒的に多い。人は水で圧倒間に死ぬ。水は人間の生息圏でないからしかたがない。沢で過去に先輩を亡くしている。
当たり前だが人間は高低差にも弱いようだ。打ち所が悪ければあっという間に死ぬ。人間は基本的に平地の生き物ということか。
意外に多かったのは転倒して骨折というパターン。転倒と言っても、たまたま倒れた場所の問題だけで、高低差のあるところであれば、転倒でなく滑落になったいたのだろう。そういう意味では転倒も滑落も同じタグでまとめてよいかもしれない。しかし、骨折が多いことに驚く。中高年が多いことの一端なのだろうか。無理目の行程を組んで、疲れの出てくる3日目とかに転倒するパターンが多いらしい。
はぐれて遭難
単独行でなく仲間と登っているのにはぐれて遭難というのが、少ないがコンスタントに見受けられるのにも驚いた。ちょっと先に行く、ちょっと遅れてから行く、といってほんの少し離れただけで、行方不明になっている。こういうことを書いてはそうやって亡くなった方には失礼かもしれないが、本当に残念な遭難のし方だ。
こうした「はぐれ遭難」はハイカーみたいな人に多そうだが、沢などで起こるケースもあり、慣れているからといって別行動するのも考えものだ。山岳会でもこういうことをやってしまっているところは結構多いのではないだろうか。
やむを得ない事故なのか
とにかく事故が多い。最初は丹念に拾っていた事故も、段々と機械的に記録するようになってしまった。あるとき、感情もなく黙々とデータ収集をする自分に気がつき嫌になる。
それぞれの事故には語り尽くせない背景や悲劇があるはずなのに、あまりの多くの自己記録に追われているうちにそうしたものがうやむやになってしまう。手段だったものが目的になっているというか。
事故はやむを得ず起こってしまうことがある。また、努力すれば避けられたものもあるかもしれない。だが、それ以前の安易に発生する事故が多いような気がしてならない。
「立山・剱岳対策協、保険料と救助手当、遭難者が全額負担」で富山、長野、岐阜の遭難対策協議会が、これまで求めていなかった傷害保険料と救助活動手当を遭難者・遭難者の家族に負担を求めることにしたという記事を取り上げたが、しかたのないことだと思う。保険に入っていればよいことで、民間のヘリコプターは高いから断るというような登山者は、山に入る覚悟が足りない。
このブログを続けたから遭難が減ることなんて全くないと思うが、何かの役に立つことはあるのだろうか。山を知らない人間の無責任なバッシングの材料に使われるようなことがあったら嫌だ。しかし、そうならないだけの責任ある登山をしている人間がどれだけいるのかということについては、これだけ事故の記録を取り扱っていると自信がなくなってくるのもまだ事実だ。
いろいろな想いはさておき、気力の続く限りまた明日からもこのブログを続けよう。