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メンバーから「沢を目指して下りましょう!」と意見が出された。私は一瞬躊躇した。ビバークするにしても水が必要だとの意味である。
少し考えた後に沢を目指して下る決断をして全員が斜面の下方を目指す。
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現地を再訪し結果として私が思っていた「跨いだかも知れなかった登山道」は存在しなかったと思われる。獣道か単なる地形の悪戯だったのだ。
折角行ったのだから大崩壊地を詰めてその謎の登山道を実際にこの目で確かめて来たら良いだろうと言われるかも知れないが、実はもう二度とあの大崩壊地の登攀の恐怖と詰めの藪漕ぎはしたくないのが正直な思いだ。
再度登った事でこの一年の間、大きな重量で圧し掛かっていた「もしかしたらあれが・・・」という仲間達に対する責任からは逃れる事が出来たと思っている。でも最初の計画段階で既に『遭難へのプロローグ』は始っていたのかも知れない。
「行けば何とかなるさ!」これが山渓をフィールドとする山屋、沢屋から「釣り屋は最低だ。」と言われる所以なのかも知れない。地形図も満足に読めない、コンパスも使えない(持っていても使わないのも同類)では、そう言われても返す言葉が無い。
さて、遭難の原因は判明した。そう、あれは遭難なのだ。下山時刻が予定より大幅に遅れたり、陽が落ちても幕営装備を持たない身で山中に居たのであるからあれはれっきとした遭難だと私は思っている。そしてそれは大変恥ずかしい事なのだ。
遭難するにはそれなりの理由がある。私たちの場合を考えてみることにした。
今までに沢を詰めて稜線まで上がった経験があまりない。 時間的余裕に欠けていた。 1:25000図は持参していたものの要所要所での現在地確認をしていない。 一番大切な場面で「多分こっちだろう」的な感覚での行動をしてしまった。 この全てにリーダーとしての私の責任がある。
- 地形図に在る登山道の存在だけを頼りに計画を立てた事。
- 沢登りのグレードだけが頭にあり容易な場所だと思っていた事。
結局は計画を甘く見ていた結果である。
それともう一つ。
日没が近づいた時点で「沢に下りましょう。」と言われて承諾した部分に自分ながら疑問を持っている。我々の教えられた基本は「道に迷ったら元に戻る」「沢に下らずに尾根に上がる」と言うものだった。しかし私たちは沢を目指して下り、結局は登山道に出た。結果オーライという奴である。
でも本当に良かったのかな?という疑問は残る。道迷いの遭難で重大事故に繋がるのはここである。無理に下って行く中で滑落や転落を招く事例が多いからだ。
ここで私がこの意見に反対しなかった理由は只一つだった。この日の私たちは沢登りの装備でありザイル・ハーネス・カラビナ・エイト環などを全員が持っていたためだ。こんな時、大体が沢に出合う場所は崖であるから以上の装備無しでは絶対に沢に向かわなかった。
でも本当に正しかったのか?無事に帰ってしまった事実が結果判断を鈍らせているのは間違いない。息子が一緒に居たという状況で、もし沢に降り立つ場面に遭遇したとしたら、「お前はザイルワークが完璧に出来たか?」と考えると自信が無い。リーダーとして、親として、失格と判を押されるに違いない。