長野全県ダイジェスト 北ア・五竜岳で高崎の登山者帰らず /信濃毎日新聞
27日午後6時すぎ、北アルプス五竜岳(2、814メートル)に向かった群馬県高崎市、自営業新井裕己さん(32)が帰らないと、新井さんの知人が北ア北部地区山岳遭難防止対策協会員を通じて大町署に届けた。
長野全県ダイジェスト 五竜岳登山の男性は遺体で発見 /信濃毎日新聞
北アルプス五竜岳(2、814メートル)に向かったままになっていた群馬県高崎市、自営業新井裕己さん(32)は28日午前8時すぎ、五竜岳山頂東側のがけ下約300メートルの雪の上に倒れているのを捜索中の県警ヘリが見つけ、収容された。
頭などを強く打っており、既に死亡していた。新井さんは東大スキー山岳部の監督。
時事ドットコム:東大スキー山岳部監督が死亡=滑落か、北ア五竜岳−長野県警
遭難:山岳スキーヤーの新井さん、遺体で発見 北ア五竜岳 - 毎日jp(毎日新聞)
新井さんはスキー板が外れた状態で、近くにリュックサックが落ちていた。23日に1人で長野県白馬村神城のスキー場から入山したが、届け出はしていなかったという。
新井さんは日本を代表する山岳スキーヤーで、02年に北アルプス鹿島槍ケ岳(2889メートル)北壁の初滑降に成功。05年から日本山岳協会選手強化委員を務めていた。
山岳スキーヤーの新井裕己さん、北アで死亡…捜索ヘリ発見 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
山頂付近には、新井さんのものとみられるスキー板が刺さっていた。同署は山頂付近から滑落したとみている。
新井さんは山岳スキーをするため、23日から同県白馬村から1人で入山、24日に下山する予定だった。新井さんの知人が27日夕、「新井さんのブログが更新されてない」と、同村遭難対策協議会に連絡し、28日朝から県警が捜索していた。
asahi.com:東大スキー山岳部の新井監督、北アルプスで遺体発見 - 社会
同署によると、新井さんは23日に1人で同村内の「HAKUBA47スキー場」から入り、南西方向に約7キロ離れた五竜岳を目指して24日に下山する予定だったという。新井さんは発見時、スキー靴を履いていた。同署は滑走中に滑落したのではないかとみて調べている。
新井さんのブログによると、22日にも日帰りで五竜岳に登っていた。下山の際に、水分を多く含んだ湿雪の雪崩が起き、「かなり神経使いながら一歩一歩命がけ」と書いている。
新井さんは急斜面での滑降で知られる山岳スキーヤーで、東大大学院農学生命科学研究科の修士2年だった02年4月、北アルプス・鹿島槍ケ岳(2889メートル)北壁のスキー滑降に初めて成功した。フリークライミングのトレーニングの研究でも知られ、共著に「フリークライミング」(山と渓谷社)がある。
新井さんが連載をしていた雑誌「ROCK&SNOW」の萩原浩司編集長は「過激なルートを攻め続けて限界に挑む第一人者だったが、安全面の研究もしていた。彼を目標にしてチャレンジしていた人は多かった」と語った。
気になったので白馬にいる知人に連絡をとってみたのですが、わかったのは以下の事実だけです。
- 現場は武田菱の直下
- 外傷から見ると滑落か転落のように見える
- 新井さんの仲間から(白馬の知人に)連絡があったので、警察に救助要請するように指示した。
スキーで滑降中にミスったのかと思っていましたけど、それともまた違う雰囲気です。
山岳スキーヤーの新井裕己さん、北アで死亡 (雪山大好きっ娘。2.0β)
このニュースだけでは事故詳細は不明ですが、情報をまとめると、4/21 にラインを間違えて失敗した 五竜岳・武田菱に新ルートを開きに、TLT + 兼用靴で再トライをして事故にあったようです。
今回はディナフィットのTLT&ツアーブーツに履き替えたばかりで、ツアーブーツにありがちなレスポンスの悪さに苦しんでいた節があり、果たしてどうなかと思っていたのですが。
新井裕己さんが五竜岳で遭難 - PowerNaviオンラインショップの店長日記 - Yahoo!ブログ
新井さんは鹿島槍ヶ岳北壁の初滑降で東大総長賞を受賞するなど、斜度40〜50度の絶壁に平気で突っ込んでいくエクストリームスキーヤー。「途中で200m吹っ飛びましたが、無傷でした」などとブログで書いていただけでに、いつか大怪我するのではないかと心配していました。しかし、雪崩についての知識も豊富で、大胆に見えながら慎重に行動していたので、突然の訃報にたいへん驚くとともに、ショックを受けています。
新井裕己氏が北アルプス五竜岳で亡くなられた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080428-00000013-yom-soci
朝から大きな喪失感で、動揺が隠せない。
先鋭的な山岳スキーヤーとして、
登山活動全般にわたる生理学的分野の理論家として、
まさに理論と実践とを高い次元で両立させていた人だった。
山岳スキーという限られた分野だけでなく、
クライミングも含めた日本山岳界をリードする理論家の喪失。
この痛みは深く、大きい。
もう5年年くらい前でしょうか。当時、山岳雑誌「岳人」で連載記事「キャンパスレポート」というページを担当していたKAZは、いくつかのの高校、大学の山岳部や山岳系同好会を取材していたのですが、そのなかでズバ抜けて印象深かったのが東京大学スキー山岳部でした。
その取材を受けてくれたのが当時まだ学生だった、新井裕己さんでした。
彼のことを今さら語ることはないでしょう。多くの人間が度肝を抜かされ、多くの人間が影響を受けたはず。そして何よりも、彼は限界を押し上げていた「数少ない」ホンモノの一人です。
PIKANDA 2008.4.28 五龍岳で新井裕己さんが滑落死亡 毎日Webと読売新聞より
とにかく凡人の価値観をみじんも持っていない、ぶっ飛んだ奴だったなぁ。
そして常にナイフのエッジを歩こうとしている、一線の人でした。彼がクライミングにもたらした科学と生理学理論の光は決して小さくないでしょう。
でも、彼と友でいられた5年間に理論以上に学んだことは、こういうことだと思います。「常に開拓者であれ」
本当に惜しい友をなくしました。
どうか安らかに。
アスリートの死 - North Shore Products
私の敬愛する山岳アスリート、新井裕己氏が亡くなりました。北アルプス・五竜岳(2814メートル)での山岳スキー中に、山頂付近から滑落したようです。
彼とは、富士山での夏季登山ガイド仲間として知り合いました。強い意志と行動力、それにリーダーシップを併せ持ちつつ、常に独りで道なき道を切り開いていくことを恐れない孤高のアスリートという印象を持っています。登山というものの様々な楽しみ方の中でも特にクライミングとスキーを愛し、そしてクライミングの難ルートとされるような氷壁をスキーで滑降するという偉業で名をはせてきた冒険者です。
新井君とは以前(10年ちかく前だったかな)、24時間テレビで「義足の少年達が荻原次晴さんと共に富士登山に挑戦する」という企画のサポートを一緒にやった思い出があります。
当時から彼にはパワフルかつインテリジェントな印象を持っていました。
その後のエクストリームスキーにおけるめざましい活躍に、何度も刺激を受けました。
新井氏は、白馬岳山頂直下、五竜岳北壁などの初滑降など The most extream skier in Japan とでもいうべき記録を残し、またクライミングにおいてもロック&スノーで連載された「ハードコア人体実験室」などユニークな活動で我々を楽しませてくれました。
新井裕己さんのブログ:Laboratorism - 新井裕己のハードコア人体実験生活(キャッシュ)
新井裕己さんが投稿した動画:YouTube - laboratorism's Channel
新井さんの講演には何度か参加したことがあるし、直接メールでやり取りしたことがあるだけに、衝撃を受けた。哀悼の意を表します。